2010年代前半(2011年〜2015年頃)のブラジル国内柔術界(IBJJFブラジレイロ、CBJJO、各種プロ賞金大会)は、まさに「柔術のパラダイムシフト」がリアルタイムで起きていた狂乱の時代でした。
中でも、軽量級から階級を超えて柔術界の常識を覆したパウロ&ジョアオの「ミヤオ兄弟(Miyao Brothers)」と、圧倒的なフレームとパスガードで絶対的な強さを誇った「レアンドロ・ロー(Leandro Lo)」の存在は、当時のブラジル国内シーンにおける最大の熱源であり、世界の柔術トレンドを決定づける軸となっていました。
世界選手権(ムンジアル)の影に隠れがちな、当時の「ブラジル国内柔術事情」にスポットを当て、マニアックに深掘り・解説します!
1. 2010年代前半のブラジル国内柔術界を取り巻く熱気
当時のブラジル柔術界は、サンパウロを中心に新しい技術(モダン柔術)と過酷な練習環境が融合し、爆発的な進化を遂げていました。
- 「サンパウロvsリオ」の覇権闘争 かつて柔術の中心地といえばリオデジャネイロ(グレイシー系やカルソン・グレイシー系)でしたが、2010年代前半にはサンパウロ(アトス、シセロ・コスタ、アリアンシ)が完全に技術と選手層で圧倒。国内主要大会(CBJJブラジレイロなど)はサンパウロのジム群が席巻していました。
- 賞金大会の台頭(Copodode Podioなど) IBJJFの伝統的な大会に加え、サンパウロで開催されたプロ賞金大会『Copa Podio(コパ・ポジオ)』などが大成功を収め、国内の強豪たちが「階級無差別」や「ライト級&ミドル級グランプリ」で血で血を洗う潰し合いを展開していました。
2. 「モダン柔術の黒船」ミヤオ兄弟(シセロ・コスタ)の衝撃
2011年〜2013年、紫帯〜茶帯時代からすでに「黒帯以上の知名度と恐怖」を誇っていたのが、シセロ・コスタ(PSLPB Cicero Costha)所属のパウロ・ミヤオとジョアオ・ミヤオの双子兄弟でした。
① ベリンボロ&50/50の完成とブラジル国内での賛否両論
サンパウロの貧しい環境から「1日10時間以上の練習」で頭角を現した彼らは、アトス(メンデス兄弟)が開発したベリンボロ(背中への回転アタック)や50/50(フィフティ・フィフティ)を極限まで精緻化。 下からのガードで作る「絶対にパスされないガード(インバーテッド&ダブルガード)」は、当時のブラジルの古くからの柔術家たちから「これは柔術ではない」「つまらないルールハックだ」と猛バッシングを受けました。
② 帯色を超えた「絶対的な勝率」
しかし、彼らは批判を結果で黙らせます。CBJJブラジレイロやプロ大会において、軽量級(ライトフェザー級)でありながら無差別級(アブソルート)にもエントリー。巨漢の黒帯ファイターたちをベリンボロで翻弄し、バックを奪ってバックチョークで仕留める姿は、ブラジル国内のファンに絶望と熱狂を同時に与えました。
3. 「絶対王者」レアンドロ・ロー(NSルシウス / シセロ・コスタ)の君臨
ミヤオ兄弟と同じくサンパウロのシセロ・コスタ門下(後に自身のチーム「NS Brotherhood」を設立)から登場し、2010年代前半のブラジル国内&世界シーンを文字通り支配したのがレアンドロ・ローでした。
① 伝説のパスガード「Lo Guard & Lo Pass」
ローのスタイルは、ミヤオ兄弟とは対照的に「圧倒的なアクティブさと立ち・パスガードの強さ」にありました。
- ライトサイドでの低重心パス(Lo Pass):相手のガードを低く固め、膝を入れて切り裂く「キースライド・パス」や「レッグドラッグ」。
- スパイダー&スリーブガード(Lo Guard):下になっても足の長さとフレームを活かし、絶対にスイープを許さない鉄壁のガード。
② Copa Podioでの無双と階級超過の伝説
2011年から始まった『Copa Podio』のライト級グランプリにおいて、ローはブラジル国内のあらゆるトップファイター(ルーカス・レプリ、セルジオ・モラエス、アウグスト・メンデス”タンキーニョ”など)を撃破し続け、何年間も無敗のまま連覇を達成。 後にライト級からミドル級、ヘビー級、無差別級へと階級を上げてもその強さは変わらず、ブラジル国内の観客から神聖視されるほどのカリスマとなりました。
4. ミヤオ兄弟 vs レアンドロ・ロー:同門・練習パートナーとしての交錯
同じシセロ・コスタの道場マット(狭く熱気が充満したサンパウロのタタミ)で毎日汗を流していたミヤオ兄弟とレアンドロ・ロー。
- 「矛と楯」の練習風景 ミヤオ兄弟の「絶対にパスされないベリンボロ・インバーテッド」と、レアンドロ・ローの「どんなガードも切り裂く低重心パス」。この2つの極限の技術が毎日ブラジルの道場でぶつかり合っていたことこそが、当時のシセロ・コスタを世界最強の道場へと押し上げた原動力でした。
- 無差別級での激突 国内の無差別級トーナメントや賞金マッチでは、軽量級のミヤオ兄弟が階級上のローに挑む図式が幾度となく発生しました。お互いの技術を熟知し尽くした攻防は、1ポイント・1アドバンテージを争う超高次元の攻防となり、ブラジルの柔術マニアたちを大狂乱させました。
5. 2010年代前半のブラジル国内シーンが残した遺産
この2010年代前半のブラジル国内における「ミヤオ兄弟 vs レアンドロ・ロー」を中心とした熱狂は、現代の柔術(IBJJFおよびノーギ/ADCC)に計り知れない影響を与えました。
- 「モダン柔術」の世界的普及:ミヤオ兄弟がブラジル国内で証明したベリンボロの有効性は、アメリカや日本、ヨーロッパへと一気に波及しました。
- 「動く柔術とスタミナ」の基準値向上:レアンドロ・ローが見せた「最後まで動き続け、相手を疲れさせてパスする」スタイルは、現代の競技柔術におけるフィジカル・スタミナの標準値を底上げしました。
まとめ:あの「熱気」があったからこそ現代柔術がある
2010年代前半のブラジル国内柔術シーンは、単なる「競技」を超えた技術の実験場であり、若者たちが人生を賭けてタタミに上がっていた泥臭くも華やかな時代でした。
- 異次元のガードで旧来の価値観を壊したミヤオ兄弟
- 圧倒的な強さとカリスマ性で頂点に立ち続けたレアンドロ・ロー
2022年に惜しくも世を去ったレアンドロ・ローの足跡とともに、彼らがサンパウロの熱気の中で繰り広げた至高の攻防は、今なお柔術史に燦然と輝く伝説として語り継がれています!


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